THE ZAKKI

ザッキ

物事に興味持つってクソ難しくないですか

人を人たらしめる,個々人のアイデンティティだとか集団の文化だとかが創造されるのは余暇の時間だと受験勉強してる時にどっかの英文で呼んだことがあるが,最近(というか大学に入ってからというもの),その余暇に「やりたいこと」が出来ない。別に課題がありすぎるとか,バイトに追われているとか,そういう環境的な制約があるわけではなく(もう少し抽象的に話すと環境のせいに出来るけど今回は別),やりたいこと自体特にないためだ。

 

何事にも興味が無さすぎるので,せっかく余暇があってもただの空白の時間,良くてTwitterをいじるくらいしか自発的にできることが無い。行動分析学のスキナーの弟子によれば,行動とは「死人にはできないこと」として定義可能らしい。そう考えるとつまり,殆どの行動ができないのだろう。多分鬱病,無気力症候群,スキゾイドのどれかには当てはまっている。この問題に関しては,仲の良い友人もそこそこ同じものを抱えている。なので条件が満たせば大学生活をこういう風に過ごすタイプの人間になるらしい。

 

早く精神科を受診したいところだが,まあそれは置いといて(置いとくな),僕は人間をこんな風にする条件には興味がある。興味というものは一体どういう風に形成され得るか。しかし,このような「興味の形成のプロセス」は中々魅力的なテーマだが,「興味の形成の切っ掛け」の方は明言できる。ただの偶然だ。

 

人は偶然によって興味を見つけ,偶然によって興味から離れる。何故かというと,生まれる環境を選ぶことが出来ないからだ。興味から敷衍して,どんな能力・才能であろうと最初は偶然にそれが提供されたからこそ成り立つ。「興味に選ばれる」と言った方がいいかもしれない。

 

これを踏まえると,若い人間が出くわすある種の問題,つまり「取柄がない」という悩みやもっと直接にアイデンティティがないと言った問題に関する不安は和らぐかもしれない。ただそれを知っていても「選ばれた」方はそんなことお構いなしに「選ばれなかった」方を虐げてくる(強者の倫理なんてそんなもん)ので,結局長い長い人生の暇潰しのために,「選ばれなかった」方も色々努力する必要はあるんだと思う。一生暇でいいなら話は別だけど。

 

じゃあ興味に選ばれるためにどのような努力をすればいいか?これもまた別の問題だと思う。とりあえず,行動を遂行するために気力と資本(経済資本と社会関係資本)を切らさないことは必要だろう。

 

「選ばれた」方が「選ばれなかった」方に様々な形でよくする「取柄/能力/興味が無い?何か好きなことをやってみればいいんだよ!」とは頭が悪いにも程がある助言で,しかもモラハラ的である。後ろの言葉は興味の言いかえだ。

 

今日はこんなところか。以下メモ

  1. 興味はどういう手順で形成されるか

  2.  

    興味に「選ばれる」確率を上げる自助努力にはどんなのがあるか